2007年3月号 第7回 互いの違いを受け入れて

この記事は時事通信社出版局発行「教員養成セミナー」に連載しているコラムです。

 
フィリピンでの数年間の生活では、当初はいらいらさせられることが多かった。例えば靴屋に入ると、店員が自分の好きなCDをかけ、客にはお構いなしに大声で歌いまくっているし、レストランでは、ウェイトレスがテーブルに腰掛けて足をばたばたさせて、他の店員とおしゃべりしていた。日本では考えられないが、こんな光景は当地では珍しくない。しかし、彼らを知るにつれ、逆に家族を大切にする価値観や、人生をエンジョイしようとする生き方に、教えられることが多くなった。日本は確かに経済大国として成功を収めた素晴らしい国だが、日本の基準がすべて他の国でも基準になるわけではないことを知った。

当時私のいた学校では20カ国以上から学生が集まっていたのだが、豚肉を食べる習慣のない国の人もいれば、豚の丸焼きがごちそうという国の人もいた。首を横に振るので、嫌なのかと思ったら、OKの意味だったり、手招きするのでそばに行ったら、バイバイの意味だったこともあった。

どんな国の文化も違って当然だし、その違いを受け入れあって初めて互いが理解できるのだ。

顧みて、この国の子供たちの姿を見ていると、小さな違いを受け入れるどころか、排除の種にしてしまうところがあって、「皆から浮いたらいじめられてしまう」というような恐れがあるように思える。

聖書には「キリストが(中略)私たちを受け入れてくれたように、あなたがたも互いに受け入れあいなさい」という言葉がある。お互いの違い、弱さ、失敗などを受け入れ合って初めて、人間は理解しあい、共同で何かをなすことができる。

グローバル化でますます地球規模の交流が大きくなる時代に、幼い時から、互いの違いを尊重する生き方、違いを受け入れ合う考え方を教えなければ、日本はますます窮屈な国になっていくだろう。それこそ世界から、浮いてしまうのではないか。それにはまず大人たちが、そのような生き方を志していかなければならないのだが・・・。


  2007年3月号掲載

2016年12月01日