この記事は時事通信社出版局発行「教員養成セミナー」に連載しているコラムです。
資料は少し古いが、ベネッセ教育研究所(当時)が、1995年に行った調査*で、東京、ソウル、北京、ミルウォーキー、オークランド、サンパウロの小学生に、「勉強ができる」「人気がある」「正直である」などの自己評価をさせたところ、すべての項目にわたって東京の子供が突出して低いことが分かった(文部科学省 「家庭教育手帳」2003年・東京都版)。「自分はできない。」「自分はだめだ。」と必要以上に自信を失っている子供が日本には多いのだ。そしてそれは親の満足感の低さや、子供の個性が大切にされていないことの反映ではないかと分析されている。
昨今の日本の子供たちが引き起こす悲しい事件の背景には、自分に価値を見いだせない、健全な自尊心を持てない子どもたちの心の悲鳴があるのではないか。「自分は生きていていいんだ」「自分には価値がある」「自分の存在は必要とされている」。そんな風に感じることのできない子どもは不幸である。
アメリカ人の教師にこんなことを教えられた。子供に対して”You are bad”(おまえは悪い)と叱ってはならない。”What you did
is bad”(おまえがやったことは悪い)と言いなさい、と。子どもの存在そのものと行為とを明確に区別するということだ。
聖書の中で「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と神が人間に語っている言葉がある。我々は、何かができるから価値を認められるのではなく、存在していること自体に価値があり、愛されるべきであると認められているのである。
私たちも子供たちに対して、何かができるからという「行動価値」ではなく、存在そのものに価値があるという「存在価値」をしっかりと認め、表現し、彼ら自身にもそれを信じさせる必要があるのではないだろうか。自分の中に価値を見出せない者がどうして、他人の価値を認めたり、尊重したり、受け入れたりすることができるだろうか。大人はまず子供たちに、彼ら自身に無限の価値があることを知ることができるように、導くべきではないだろうか。 2006年10月号掲載
*「別冊モノグラフ・小学生ナウ 第5回国際シンポジウム報告書」(ベネッセ教育研究所 1997年8月)